津波に耐えた奇跡の一本松が復元されたことに対する海外の反応
2011年3月11日の津波に耐えた岩手県陸前高田市の松を復元したものが完成し、設置されました。このことに対する海外の反応がありましたのでまとめて紹介します。
高田松原の防潮林はたびたび津波に見舞われ、同時に津波被害を防いできた。近代以降で代表的なものとしては、1896年(明治29年)6月15日の明治三陸津波、1933年(昭和8年)3月3日の昭和三陸津波、1960年(昭和35年)5月24日のチリ地震津波がある。しかし、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で、高田松原は10メートルを超える大津波に呑み込まれ、ほぼ全ての松がなぎ倒され壊滅した。その際、奇跡的に1本の松だけ倒れずに残り、この松は震災直後から復興のシンボルと捉えられ、「奇跡の一本松」「希望の松」「ど根性松」などと通称されるようになった。しかし、この松の周囲の土壌は大地震による地盤沈下で海水がしみ込み塩分過多の状態にあるため、同年4月末の時点では健康な生育状態にあったものの、徐々に悪化していった。新葉が出ず、葉の褐色化が進んだことから、5月20日には根元に活性剤を撒く処置が執られ、6月5日には傷ついた幹を保護するためにこも巻きが行われた。しかし、一時は新芽も確認され回復の兆しが見られたものの、新芽の多くが変色し衰弱が進んでいる。なお、文化庁は「地形が残っている」として名勝の指定を継続している。2011年10月の調査で海水で根が殆ど腐っており再生不可能と判断、保護を事実上断念、接木を育てるなど苗木を移す計画を勧めるとしている。2012年7月には一度切断して内部に防腐処理を施しつつ金属製の心棒を通すという形で保存することが発表された。2012年9月12日、最後に残った松の木が伐採された。切られた松は防腐処理を施した上で2013年2月に元の場所に戻して保存する予定となっている。また、倒れた松の一部はボランティアの手で薪として販売され、復興資金として寄付される予定であった。一部は、清水寺・大日如来坐像に使用されるなどの活用されているものの、2011年8月16日の京都・五山の送り火の薪として一部使用される予定が放射性セシウムが検出され二転三転し使用中止になったり、2011年9月には成田山新勝寺で被災松を護摩木としておたき上げすることに対し抗議が多数寄せられるなど、復興への支援か放射能汚染への不安かでしばしば賛否が起こっている。2012年2月10日、東日本大震災の復興政策を統括する復興庁が発足し、本庁の看板にはなぎ倒された高田松原の松が使われた。2012年7月2日から、郵便事業株式会社陸前高田支店において、奇跡の一本松を図案化した風景印を使用していた。(10月1日からは、陸前高田郵便局郵便分室で同図案の風景印を引き継いで使用している)また、東日本大震災の復興費用に充てる「個人向け復興応援国債」の購入者に対して贈呈する記念貨幣のうち、第3次発行分の一万円金貨3デザインのうち1デザインの表面と、第1次から第3次発行分の各貨幣の裏面には、共通で奇跡の一本松があしらわれている。作詞家の藤公之介と双子のシンガーソングライターのサスケがCD「生きてりゃいいこときっとある~高田の一本松~」(2011年9月12日発売)をリリース。演歌歌手の千昌夫は、CD「いっぽんの松」(2011年11月2日発売)をリリース。
復元された奇跡の一本松
津波に耐えた奇跡の一本松が復元されたことに対する海外の反応:
・レプリカってことは、生きていないのかよ?
・レプリカを置いて奇跡の一本松っていうのは…。東京オリンピック招致も考慮に入れたインチキの復興の象徴だな。
・これ造るのにどれだけ金を掛けたんだろうか…。
・津波で家を流されて未だに仮設住宅に住んでいる人が大勢いるのに、まずそっちをどうにかしろよ…。
・復興の象徴ではなくて、税金の無駄遣いの象徴ではないだろうか…。
・日本のマスコミが持ち上げているだけだろ。津波の後、枯れているし、どこが奇跡なんだよ。
・津波で家を失った人が今どうしているかよりも、この奇跡の一本松だかの方が大事なんだね。
・ネガティブなコメントが多いなあ。奇跡の一本松、かわいいと思うよ。東日本大震災からの復興の英雄としてそこに立っているんだね。東京オリンピックが招致できるといいね。
・日本に多額の義捐金を送った世界中の人々に良いメッセージを送ったと思うよ。
・悪くは無いと思うけど、必要かと思えばどうだろうか悩むところだな。
翻訳:しょぼん
出典:Miracle pine